5.岩手山との共生を目指して−今後の課題


 岩手山のように噴火が起きる前から、様々な監視体制や防災対策が進められてきた火山はわが国でも少ない。しかし、対策の多くはゼロからのスタ−トであり、しかも4年余という期間は岩手の防災意識を熟成させるには不十分である。また、噴火の可能性という緊迫した状況に、最低限の対策を一刻も早くと追い立てられる日々であり、大学間の連携をじっくり練りあげる必要性を痛感しながら、ゆとりがなかったというのが正直なところであり反省点の一つでもある。

 防災実務にあたる行政関係者は短期間で異動し、専門的知識や経験が積み上げらないという課題が早急に解決できない状況で、大学関係者のコ−ディネ−タ的な役割は重要である。地域の大学が連携して、それぞれの役割を分担、カバ−しながら地域の安全に貢献するとの認識を深めることも必要である。        

 とりあえずの緊急対応は提示された。有珠山噴火の直前に策定された「岩手山火山防災ガイドライン」は、復興期までに必要なほとんどの項目が網羅されている。中央の気象庁や火山噴火予知連絡会と地元との良好な関係のあり方を模索し、何度かの現地視察や検討会で率直な意見交換が行われてきた。気象台が観測情報の提供のみならず、地域防災へ積極的に関わることの必要性も議論された。道路公団・JR・NTT・電力会社などライフライン関係機関も噴火時にどう対応すべきかが岩手山を事例に検討されてきた。また、研究者・行政機関・報道機関が連携して住民の安全を守る「減災の三角錐」(岡田・宇井、1997)から住民自身も自らの身を守る意識を啓発し地域の安全を求める「減災の四角錐」を実践してきた”岩手方式”との評価が他地域からも注目されてつつあることは、県の総合計画にも掲げた「岩手地元学」との立場からも喜ぶべき事と思う一方で、どう継続させるか責任の重さも痛感させられる。

 目を転ずると、噴火の予知が比較的容易とされる有珠山でさえ、農業・漁業のための帰宅要望に、研究者も行政機関の長も苦渋の選択を迫られたし、現在も避難している住民がいる。経験則もあり予知に成功したかに見えた三宅島では、今後の活動の予測すら困難で、住民の帰島のメドはたっていない。まして過去の観測デ−タが皆無に近い岩手山ではどのように対応すべきか、監視態勢は強化されているが、正確な予知は容易ではないと考えておくべきであろう。東側マグマ噴火の際のシナリオは依然不確かであり、避難の勧告など対応の困難さを認識してきた関係者も異動で欠けつつある。一方では、一部規制緩和にともない、防災意識の風化も感じられる。たとえ、今回の火山活動が噴火に至らないにしても、生きている火山、岩手山との共生の取り組みは不可欠である。規制緩和の取り組みは、共生の第一歩と位置付けられるものの、長期的な共生の取り組みは今後の大きな課題である。

 @、火山防災体制と意識の継続
  登山シ−ズンの終了と共に、防災としての視点での報道は減少し、住民の関心は薄れる傾向にある。人間は”忘れる”特権を神?から享受し、よってつらい体験も過去のものとして生きていけるのであると考えるなら、「忘れた頃にやってくる災害は」避けられない宿命かもしれない。この4年近くの間で、火山防災への啓蒙活動は様々な形で行なわれたが、三宅島約3800名、有珠山約3万名に比して、岩手山周辺には38万人の住民が居住する。火山を知り、また、避難の訓練などに参加した住民の割合は、ごく少ないのが現実である。岩手山との共生は、周辺に居住するわたしたちにとって生活のベ−スである。活動が活発化に転じた場合に、常に対応できるよう、啓蒙活動や避難訓練など出来るだけ風化を避けるための継続的事業が必要とされる。

 A、行政の危機管理体制の整備
  上記様々取り組みの中で、防災のプロともいえる行政担当者は多く育てられた。しかし、その多くはごく短時間に異動し、経験によって培われた専門的認識はクリアされ、県全体としての防災力はウエ−ブの山谷を繰り返すのみである。といっては、いいすぎかもしれないが、少なくとも地方自治体の中では”防災専門職員”の育成としかるべき処遇を必要である。
  また、岩手方式のベ−スともなっている、関連機関の連携も、INSのようなボランティア活動に依存している要素が多い。長期にわたる継続的な活動には、北海道におけるような「火山防災協議会」のような公的組織を立ち上げが求められる。しかし、先進地ともいえる北海道でも協議会の運営は必ずしも模範にできる状況にはない。どのような体制ならば連携ししかも継続的に機能しえるのか、模索の状況にある。

 B、共存のための長期的課題
  岩手山の火山活動の活発化の中で、スキ−場の撤退(98年9月17日岩手高原スキ−場中止決定、2000年2月21日八幡平リゾ−ト撤退発表)などにより、観光地をはじめ地域の経済が大きな岐路にたたされていることは、県民の一人として慚愧の思いを禁じえない。しかし、根本的な原因は、高度成長時代とは異なり、我々自身が地に足を踏みしめた相応の生活スタイルと産業構造に転換を求められていることにある。大型レジャ−から特徴ある地域の生活を楽しむ観光への転換、また情報を率直に公開し、最大限の安全に力を入れていることの理解をえる努力をすることなどが求められよう。災害に対しての公的保障制度の確立(現在も岩手県では”自然災害に対する公的支援制度の拡充を求める岩手県民会議”が活動中)を求めると共に、自助努力、相互補助の制度整備も自らが考え行動しなければならない今後の課題といえよう。



関連画像
  ★減災の三角錐

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