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岩手山火山防災マップ


  斎 藤 徳 美
  岩手大学工学部

1998年2月からの火山性地震が頻発した岩手山火山防災対策の基礎となる火山
防災マップが作成された。岩手山西側では約3200年前の水蒸気噴火を、東側では
1686年のマグマ噴火を想定したもので、地域住民などに約20万部が配布された。

1、火山防災マップの作成の経緯

 1998年2月から目立ち始めた岩手山の山頂西側の地下2〜3kmでの火山性地震は4月29日に285回記録し、同日気象庁から臨時火山情報第1号が出された。6月23日に同2号が出され、これを受けて、岩手県は災害警戒本部を設置、周辺4市町村が協議し、7月1日から入山禁止の措置がとられた。
 岩手山は260年余り大きな噴火がなかったため、具体的な火山噴火対策は皆無であり、県民の火山に対する関心や知識もほとんど培われていない。そのため、住民には何が起きるのかといった不安が、また行政にはどのような対策を講ずるべきかの戸惑いがあった。
 建設省岩手工事事務所、岩手県土木部では砂防対策を目的とした被害想定マップの作成を平成8年から進めていた。しかし、緊急的な防災対応を主眼としたものではなかったため、関連機関が連携して防災計画を立案するためのマップの作成が急務された。そのため、7月8日に、建設省東北地方建設局岩手工事事務所、岩手県土木部砂防課および同総務部消防防災課を事務局とした「岩手火山災害対策検討委員会」が設置された。委員は、斎藤徳美岩手大学工学部教授(委員長)、浜口博之東北大学地震・噴火予知研究観測センター教授、青木謙一郎東北大学名誉教授、太田岳史岩手大学農学部助教授、土井宣夫地熱エンジニアリング(株)取締役技師長(岩手大学地域共同研究センター客員教授)、野口晉孝盛岡地方気象台および岩手山周辺の盛岡市・雫石町・西根村・滝沢村・松尾村・玉山村の6町村長である。
 噴火の恐れが指摘されている中でのマップ作成であることから、委員会では以下のような方針のもとで急いで作業を進めることとした。
 1)全体の被害想定には時間を要するため、緊急性の高いものから作業を進める。
 2)過去に起こった噴火の実績をもとに、災害予測を行う。
 3)避難場所などを示した、防災対策マップの役割をもたせる。
 4)行政が実務的な防災対策を立案するための基礎と位置付けると共に、周辺住民全世帯へ配布する広報マップとする。
 火山性地震の多くは、山頂西側の大地獄谷から黒倉山、姥倉山、犬倉山周辺の地下2〜3kmの浅部に集中し、過去の噴火実績からしても、当面西側での水蒸気爆発の可能性が大きいものと推定された。そのため、3回の委員会開催の他、実務作業を行うためのワーキングおよびミニワーキングを9回開催して、連日深夜まで作業を進め、約2週間という短期間で、7月22日に「西側で水蒸気噴火が起きた場合の火山防災マップ」を公表した。マップは、周辺6市町村の全世帯(約16万世帯)に配布された。
 西側浅部の地震はさらに西の三ツ石山付近まで広がった後、8月末から減少傾向に転じたが、山頂東側深部でのマグマの動きに関連するとみられる低周波地震が増加傾向にあった。山頂では過去に繰り返しマグマ噴火が起きており、西側に比してより規模の大きな災害が予測される。そのため、委員会では引き続き14回のワーキング、ミニワーキングを開催して、マグマ噴火を想定した被害想定作業を進めた。そして、10月9日に西側の水蒸気噴火も並記し避難施設を示した「岩手火山防災マップ」を公表した。マップは作成の前提条件、噴火の形態や危険性、対応の仕方などをわかりやすく説明した「岩手山火山防災ハンドブック」(6ページ)と併せて周辺市町村全世帯の他、高校生徒全員、小中学校の教室などに合計約20万部が配布された。
 岩手山の火山防災マップは、国内の火山で13番目になるが、まさに山がうごめいている中で、二つの噴火様式を併せて、しかも短時間で策定されたのは例がないことと思われる
 この間9月3日には、雫石町でマグマチュード6.1の地震が発生し、道路などに大きな被害を生じた。この地震は構造性のもので、火山性地震とは異なるが、火山活動が活発な中での発生のため、住民には衝撃的であった。

2、火山防災マップの概要

 岩手山は約70万年の歴史があり、活動は西側から東側に移行してきている。土井宣夫博士の研究により縄文時代以降の噴火史の解明が進められており、西岩手では水蒸気噴火、東岩手ではマグマ噴火が特徴的である(土井、1998)。
 1)東側でのマグマ噴火
 薬師岳が形成後(約6000年前後以降)、最大規模の噴火の一つとされ、噴火の形態や規模がある程度明らかにされている。1686年の噴火と同規模の噴火が起きた場合を想定した。また、火口まで繰り返し噴火をしている現在の薬師岳山頂火口を想定した。
 土井(1990)によると、1686年には8回程度断続的に噴火がおき、降り積もった火山灰・スコリアなどは、約8,500万mに達すると見込まれる。火砕サージ堆積物も確認され、古文書の記録から火砕流の発生も推定されている。北東斜面から一本木方向などに火山泥流が発生し、泥流は砂込川、生出川を流下して北上川へ、諸葛川を流下して雫石川に流れ込んでいる。また、同年の噴火では、マグマはすべて山頂から噴石や火山灰等として吹き上げられ、溶岩流として出ていないが、1732年の山腹噴火で溶岩流が流下しており、溶岩の流出も当然考えられる。そのため、以下の項目について、災害予測を行った。
 @噴石:火口から吹き上げられた高温の岩塊のうち、ある程度以上の大きさと重さをもつ岩塊は風の影響をあまり受けずに弾道放物線を描いて火口の周辺に落下する。空気抵抗を受ける限界の大きさと1686年の実績から、直径5cm程度の噴石が降下するのは、火口から4km以内と想定される。
 A降下火砕物:火口から吹き上げられた火山灰やスコリアは、偏西風にのって火山の東側方向に降り積もる。1686年の噴火の堆積物は8層以上に区分されるが、分布は北東〜南東3方向に大別される。これら3方向での堆積物の厚さから全量を約8,500万mと見積もっている。最悪の場合、すべての噴火で同じ方向に降ること、あるいは全量が1回の噴火で噴出することを想定し、距離別の降灰の厚さを見積もっている。また、どの方向に降灰するか限定できないため、可能性のある東側一帯について堆積厚さを示してある。すなわち、全域にこの厚さで堆積するわけではないが、盛岡市や玉山村の一部でも10cm以上の降灰の可能性がある。
 B溶岩流:1686年にはマグマは全量火砕物として噴出し、溶岩流として噴出していない。マグマの何割が火砕物、溶岩となるかはわからないため、全量が溶岩流として噴出した場合(火砕降下物量を密度で換算した約5,100万m)を想定した。流下方向は、火口の西側は屏風尾根と鬼ヶ城の火口壁のためすべて焼切沢に流れ込み、北東方向には斜面、南東方向には沢に沿って流れるとした。到達範囲の計算に必要なパラメータは焼走り溶岩流の再現計算を行って決定した。図に示した全域に溶岩が流下するわけではないが、流下する方向によっては山麓の集落の一部にまで到達する可能性がある。
 C火砕流:岩手山では過去約6,000年の間に火砕流の明確な堆積物は確認されていない。しかし、1686年の噴火時に”火柱が倒れた”ことを示唆する古記録「岩鷲山御山御炎焼書留」があること、積雪時での火山泥流が発生していることから何らかの形で火砕流の発生を考慮する必要がある。火砕流の発生様式として、噴煙柱が途中で崩壊して火砕物が冷える間もなく斜面を流れ下る形を想定した。この場合、1686年の噴火によるスコリア堆積物が高温で酸化したあとがみられる(温度約600度以上)、溶結していないこと(約900度以下)から火砕流の温度を800度と想定した。火砕流の規模を堆積物から直接的に推定しがたいため、現在の火口東斜面の状況から、30度以上の急斜面で厚さ2mの火砕物が崩落、流下するとして、噴煙柱が崩壊する方向別(7方向)に数値シュミレーションを行った。到達範囲は火口から5km程度であるが、地形の影響を考慮して範囲を想定した。
 D火砕サージ(爆風):1686年の噴火では、2回の火砕サージが発生したことが堆積物から確認されている。古記録では、火口から約8km離れた地点で樹木が飛び落ちたとの記録があるが、堆積物が確認されたのは火口から4.8kmの地点までであること、距離が離れると風速や温度も低下することから、火口から5kmの範囲を危険な区域と想定した。
 E土石流:降下火砕物の堆積厚20cm以上、傾斜10度以上の渓流を土石流が流下する恐れのある渓流とし、1/10超過確率雨量(165mm/日)により土石流が流下し堆積する範囲を想定した。降下火砕物が土石の大半を占めることを考慮して、比重2.5、粒径を1cmとして到達範囲を想定した。土石流の発生は火山灰の堆積した範囲に限られるが、降灰の範囲は限定できないため、起こりうるすべての渓流について示している。方向によっては山麓の集落の一部にまで到達する可能性がある。
 F融雪型火山泥流:冬期には岩手山には2mを越える積雪があり、火砕流により雪が急激に溶け火山泥流が発生する可能性がある。規模の想定は容易ではないが、火砕流の項で想定した7方向ごとの火砕流量、積雪量から融雪水量を求め、シュミレーションにより火山泥流の到達範囲を想定し、さらに河道の流下能力、河床の比高などの地形解析を加えて氾濫する範囲を想定した。火砕流の流下する方向で発生するものであるから、すべての範囲で火山泥流が流下し氾濫するものではないが、被害の範囲は最も広く、松川、生出川、砂込川、諸葛川、黒沢川などの流域で氾濫する可能性がある。
 2)西側での水蒸気噴火
 過去約7,400年前以降で最大規模の約3,200年前の水蒸気噴火の実績に基づき、噴石、火山灰、土石流の範囲を想定した。火口は、大地獄谷から姥倉山にかけての約1.5kmの範囲とし、噴石は火口から2km、10cm以上の降灰は3km以内の範囲で、噴石などによる山麓の集落への直接的な被害の可能性は少ないと考えられる。東側と同じ条件下での土石流は山麓の集落の一部にまで到達する。
 なお、岩手山では過去に大規模な山体崩壊(岩窟なだれ)が発生している。発生の可能性は低いものであるので、約6,000年前以降の2回の実例を別図として表示している。

3、火山防災マップ活用への取り組み

 火山防災マップは、実務的に防災対策に生かされてこそはじめて価値がある。従来の行政には、作成が目的となり、肝心の防災対応がなおざりになる傾向がなかったとはいえない。岩手県では、マップ作成のための検討会立ち上げの前から、学識経験者・建設省東北地方建設局岩手工事事務所・岩手県総務部・同土木部・関連市町村の担当者が会合を繰り返し、それぞれの任務と責任を確認しつつ、縦割りではなく連携しあって防災対策を進めるとの認識を培ってきた。
 その背景には、岩手大学工学部を中心とする産学官の研究交流組織である「岩手ネットワークシステム(INS)の活動がある。INSの研究会の一つである「地盤と防災研究会」は、1998年5月に関係市町村、県、建設省、盛岡地方気象台、県警、自衛隊、道路公団、NTT、東北電力、JR、などの関連機関、民間企業の防災担当者からなる「岩手火山防災検討会」を立ち上げ、相互の交流と具体的な防災対応の検討を進めてきた。また、住民の安全を頂点に、研究者・行政・マスメディアが連携する、いわゆる減災のテトラへドロン(宇井、1997)を実践する活動も展開してきた。これらの会合は十数回を数え、行政の公的な委員会を実務的に支える重要な役割を担っている。
 当初、広範囲な被害想定に及び腰であった市町村も、ワーキング作業へ参加し火山防災への理解と深めると共に緊急に対応策を講ずることの必要性を認識した。また、正確かつ迅速の報道のため、報道関係者との勉強会を重ねた。想定されう被害も検討の段階で順次公表し、的確な報道によって、住民の動揺も少なく冷静に受け止められることとなった。さらに、行政と連携して、住民に説明にあたる市町村の職員や、学校で研修にあたる教員への勉強会も多数回開催すると共に、地域住民・学校生徒・民間企業への説明会は数十回を数え、防災意識の啓蒙が図られつつある。
 一方、火山防災マップの作成にあたった「岩手山火山災害対策検討委員会」が総合的な火山防災を進め、学識経験者からなる「岩手山の火山活動に関する検討会」が活動の評価にあたっている。また、建設省東北地方建設局j岩手工事事務所と県土木部が「岩手山火山砂防計画検討委員会」を、青森営林局と県林業水産部が岩手山火山治山計画検討委員会」を設置し、防災マップに基づく具体的な治山、砂防事業に着手しつつある。1998年10月8日には台風接近の中、第1回火山防災訓練が、1999年1月29日には、厳冬期での住民避難を実践する避難訓練が実施され、情報の伝達、避難施設の不備など多くの問題点も指摘された。
 噴火間隔が長い火山において、噴火が起きる以前から、活発な火山防災対応が立ち上げられた事例は我が国でも少ないと評価されるものの、すべてゼロからのスタートであり、課題は山積みしている。火山との共生をめざした取り組みはまさにこれからといえよう。

参考文献

 「1」土井宣夫:岩手山の噴火史、火山噴火予知連絡会会報,71,(1998),印刷中.
 「2」土井宣夫:岩手火山の火山灰層位学的研究.東北大学理学部博士論文(1990).
 「3」宇井忠英(編):火山噴火と災害、東京大学出版会.112-116(1997).