★岩手山の監視と防災体制
斎 藤 徳 美
岩手大学工学部
1998年春以降、火山性地震が頻発し噴火の可能性が指摘された岩手山では、監視体制
の強化、災害予測図の作成、ガイドラインに基ずく危機管理体制の連帯責任と連携を軸とする
「岩手方式」に基ずく防災体制の強化は、今なお模索が続いている。その経過と課題について報告する。
1、はじめに
岩手山では、1998年2月から火山性地震が頻発し、噴火の可能性が指摘された。約270年前の1732年焼走り溶岩流の噴出以降大きな噴火が発生していない岩手山周辺では、住民にも行政にも、岩手山は生きている火山との認識は欠如し、防災対策は皆無の状況であった。
火山噴火による災害の軽減には、火山活動の監視、災害予測地域の想定、緊急対策の立案とその試行といった対応がセットで構築されることが必要である。
岩手山西側では噴気活動が活発で水蒸気爆発の可能性が残されている。一方、東側では噴火は切迫してはいないと考えられているものの、モホ面付近や深さ6〜10kmとやや深部の低周波地震が引き続いて発生している。
活動周期が長い多くの日本の火山同様、岩手山では防災対応が皆無の状況から、噴火の可能性に追い立てられるように、監視体制の強化、火山防災マップ、火山j防災ガイドラインの作成、避難訓練など様々な対応がこの3年余の短期間に進められた。本稿ではその概略を紹介させて戴く。防災対応が進められていない火山で、もし参考になることがあれば幸いである。
2、監視体制の強化
今回の活動のスタートは1995年に遡る。同年9月15日にマグマの活動に係わると推測される火山性微動が45分間にわたって観測された。そのため、東北大学地震・噴火予知研究観測センター、気象庁などが、地震計、傾斜計、歪み計、GPS、磁力計などを増設して、観測の強化にのりだした。
東北大学地震・噴火予知研究観測センターでは、1981年9月5日南山麓の滝沢姥屋敷に定常観測点「岩手山」を開設、82年7月に松川、94年11月に相ノ沢および焼走り、96年12月に玄武洞、さらに99年11月に松尾に定常観測点を増強し、特に相ノ沢・焼走り・玄武洞・松尾には地震計の他、傾斜計、体積歪み計が地下に埋設され、微小な地殻変動も見逃さない体制がとられている。火山活動の活発化以前から監視体制の整備が図られていたことが、岩手山防災には非常に有効であった。
1998年4月29日に1日で285回の火山性地震が発生し、臨時火山情報第1号が発表された。同6月24日の第2号の発表に基づき、5月22日から県に設置していた「岩手山火山活動対策検討委員会」(7月8日設置の「岩手山火山災害対策委員会」10月8日設置の「岩手山の火山活動に関する検討会」に改組、拡充)の助言をもとに、、岩手山周辺6市町村長が協議して、7月1日の山開きから入山の規制が行われることとなった。
この間、東北大学地震・噴火予知研究観測センターは、山体の20数ヶ所に地震計など臨時の観測点を増強、気象庁も、地震計7点、く神経空震計3点、震度計(雫石町長山網張温泉)などを設置した。また、国土地理院、地質調査所(現(独)産業技術研究所)もGPS、APSを設置した。さらに、大地獄谷〜黒倉山〜姥倉山といった西側での噴気活動が火山性地震の減少とは逆に99年5月頃から活発化したことに伴い、岩手県が独自に同区域に地震計2点と地温計5点を設置した。
地元の岩手大学には火山関連の分野がないこともあり、地震や地殻変動などの観測は仙台や東京あが拠点となっている。一方で、噴気などの表面現象は、地元機関が連携して観測にあたっている。建設省(現国土交通省)岩手工事事務所、岩手県警、盛岡地方気象台などが監視カメラを設置している。NHK・テレビ岩手・岩手めんこいテレビ・IBC岩手放送・岩手朝日テレビなど報道各社が麓から目視できない大地獄谷などを監視し、その映像の一部は県の総合防災室に配信され、またビデオ映像は岩手大学に提供され詳細な解析に供されている。上空からの観測には、県の防災ヘリ「ひめかみ」を主に県警ヘリや自衛隊ヘリが協力し、雫石町では役場職員等による「火山特別調査隊」が犬倉山から黒倉山までの現地調査を繰り返し実施、40箇所以上での地温測定を継続している。民間機関も赤外映像の解析や湧水の科学分析などをボランティアで分担している。これらの観測データは、火山噴火予知連への報告はもとより、県の火山活動に関する検討会や、毎月開催されているINS岩手山火山防災検討会に提供、データの共有化が図られている。
活動が活発化し始めた初期には、観測データが独自に中央から発信され、それがセンセーショナルに報道されることによる「学者災害」さらには「報道災害」の弊害が生じたこともあった。その後、関係機関への要請や協議を通じて、観測データの整合性の検討を経て地元への提供がなされている。産・学・官の連携および「減災の三角錐」の理念が実践され、火山監視の点でも有効に機能する体制がつくられてきたのが岩手山の特徴の一つといえよう。
図1 岩手山の地震回数(1998年2月〜)と黒倉山山頂噴気の強さの変化(1999年5月〜)、土井(2000)による。地震回数は東北大学地震・噴火予知研究観測センターの松川観測点に地震計による。但し、1998年9月3日の岩手県内陸北部の地震の余震も含まれている。黒倉山の噴気ランクは、松尾村柏台からの土井小枝小氏の観測による1日での最高ランク。
3、火山防災マップの作成
噴火によりどのような災害がどこまで及ぶのかを事前に予測して対策を構築しておくことは、活動の監視とともに予知の重要な柱と位置付けられている。しかし、噴火周期が長く、過去の噴火の経験者がいない火山では、防災マップの作成はもとより、災害対策の検討もほとんど行われていないのが実情である。
岩手山でも、臨時火山情報がでても、防災関連機関は何をなすべきかわからず、立ち上がりは鈍い状況にあった。もっとも早く対応を始めたのは、岩手県における産・学・官の研究交流組織である「岩手ネットワークシステム(INS)」の中の研究会の一つである。「地盤と防災研究会」で、98年5月16日に「INS岩手山火山防災検討会」を立ち上げ、関係者の結集を呼び掛け、防災マップの作成を含む対応についての検討を始めた。
実は、建設省(現国土交通省)岩手工事事務所が、公表を前提としない砂防対応のハザードマップの作成を進めていた。しかし、地域防災の視点でのものではないため、急遽改めて作成をしなおすこととなった。行政の対応として、マップが出来ればそれで役目はおしまいということが起こりうる。国・県・市町村が実務的な防災対策を本気で推進する覚悟を認識すべく、関係者の会合を繰り返した上で、同7月8日に「岩手山火山災害対策検討委員会」を発足させた。そして、土井宣夫氏による噴火史についての研究結果(土井、2000)などをもとに、当面可能性があると考えられた「西側で水蒸気爆発が起きた場合の岩手山火山防災マップ」を7月22日に公表、本命とされる東側でマグマ噴火が起きた場合と併せた、「岩手山火山防災マップ」を10月9日に公表した。
その内容や経緯については、月刊地球21巻5号に掲載したが、特に留意したことは、関係者や住民の理解を深めることでる。事前に報道関係者、自治体関係者、学校関係者への説明を行い、周辺16万世帯、学校生徒3万名に配布後は、役場職員やINSのメンバーが公民館や学校などで説明会を繰り返し開催した。その後、岩手工事事務所がビデオ版を作成、また、留学生や観光客用に英語版、中国版のマップも作成した。
本マップは、取り急ぎ被害の予測を行い、実務的な対策を進めるための基礎的な位置づけにあった。県や市町村では何をなすべきかの指針となるガイドラインの作成と平行して、出来るところからの対策を進め、6市町村別の「岩手山火山防災対策図」が2000年4月に公表された。図には、避難場所、避難経路、防災行政無線、防災関連施設など火山防災に関する資料が包括されており、噴火時にはこの図に基づいて対応が行われることなっている。
図2 岩手山の火山活動に関する情報連絡体制、岩手山ガイドラインによる、建設省は現国土交通省
4、岩手山火山防災ガイドライン
岩手山火山防災マップの作成後、岩手山火山災害対策検討委員会はその役目を終えたかの雰囲気が一部に流れた。噴火後にはマップは迅速に更新されなければならないし、何よりも同委員会はマップに基づいた防災対策を総合的に推進するとの、各機関の連携を基本に立ち上げられたはずのものである。委員長の強力な指導のもとに、減災を目指して何をなすべきかの策定に取り組むこと、そのためには単に事務局担当としての立場にあった、建設省岩手工事事務所長、岩手県総務部長、岩手県土木部長などが委員との立場で企画立案の側にたつこととし、さらに社会心理や防災行政などの分野に係わる岩手県立大学の複数の専門家を委員に委嘱し、委員会の強化を図った。
わが国では総合的な火山防災のための指針は作成されていない。そのため、噴火時の緊急対策から復興期にまでに何をすべきかの指針となる火山防災ガイドラインをとりまとめるには、多方面にわたる検討が必要とされた。噴火の可能性が指摘されている中で、取り急ぎ必要なことは、噴火から48時間以内に行うべき避難など緊急対策を明らかにし、具体的な対策を進めることである。そのため、委員会ではワーキングを中心に緊急対策の検討を急ぎ、1999年5月27日、噴火から48時間の間に必要な対策をまとめた緊急対策ガイドラインを策定した。委員会では、引き続き緊急対策で示した活動活発期、避難期から避難生活期、生活復興期までの中長期対策についての検討を進め、2000年3月23日、総合的な「岩手山火山防災ガイドライン」を取りまとめた。検討会には、増田岩手県知事と周辺6市町村長が顔を合わせ、堅い握手で連携して防災対応との意欲が顕示された。
ガイドラインは、防災の実務的な対策は、行政機関すなわち国・県・市町村が”連携”して責任を負うこと、および、行政機関・防災関係機関・学識者・住民が”連携”してそれぞれの役割を遂行することにより地域の安全が守られることを、対策推進の理念として掲げている。系統的かつ総合的な火山防災の指針はわが国では初めてのものである。特に縦割りと責任の所在の不明確さが問題と指摘されるケースの多かった中で、行政の連帯責任と関連機関から住民までの連携が理念として明記されたことは、画期的なことである。
さらに、噴火時の避難の勧告などについて、知事が市町村長に助言をすることが明記されている。災害対策基本法上は、避難勧告・指示は首長の権限と定められている。気象台から、噴火以前に緊急火山情報が発表された場合には、首長はそれを根拠に勧告を行うことが出来る。しかし、岩手山には予測に重要な過去の噴火の経験則がなく、緊急火山情報は噴火の確認後となる可能性も大きい、火砕流、火砕サージ、融雪型火山泥流などは、発生後の避難では間にあわないし、山頂付近は目視できる日も数少ない、火山の専門家でない首長が単独での避難の勧告等を決断することは、事実上困難であるころは自明である。そこで、地元で観測データの検討を行ったり、予知連の見解を噛み砕いて説明し、防災上の助言を行なう「岩手山の火山活動に関する検討会」を設置し、その検討結果を踏まえて、県知事が6市町村の首長に助言することとしたものである。緊急の協議のために、盛岡地方気象台、東北大学地震・噴火予知研究観測センター、岩手大学工学部、県の災害警戒本部の間は、テレビ会議システムで結ばれている。このようなシナリオに基づいた県および6市町村主催の「岩手山噴火対策防災訓練」や「火山防災シンポジウム」も繰り返し実施されている。
国土交通省岩手工事事務所、盛岡森林管理署は砂防・治山計画を策定、順次建設に着手し、特に岩手山頂から山体周辺に観測機器に電源を供給しデータの共用化をめざす光ケーブルの布設を始めている。2000年6月には、緊急時には災害対策本部の機能を果たす。火山防災啓蒙施設「イーハトーブ火山局」が松尾村に開局し、既に1万人以上の見学者が訪れている。山体内部を調べる国内最大規模の人工地震探査(発破孔9箇所、地震計368箇所)も2000年10月に実施された。
また、災害時には、行政だけでは対応が困難であるため、県は輸送、医療、生活必需品などに係わる各種業界と順次災害応援協定を締結し、協力体制を築くなど、様々な対応が進められつつある。
5、東側の一時入山規制緩和
岩手山の入山規制が3年におよび、この間、雫石町の岩手高原スキー場の休業、松尾村の八幡平リゾートホテルの閉鎖などが相次ぎ、不況による観光客の落ち込みなどもあり、地域経済の面から、表面活動に変化のない東側の入山禁止の緩和の要望が強く出されるようになった。
西側の噴気活動は活発で地温の高い区域も広く、万一水蒸気爆発が起きた場合、事前に予測できない可能性が大きい。東側は、地震、微動、地殻変動などの観測から、噴火が切迫した状況は事前に掌握できるものと考えられている。しかし、経験則がない岩手山で、切迫状況から噴火に至るまでの経過や噴火の形態を正確に予測できるかどうかはわからない。山頂まで道路やロープウェィなどのある観光火山と異なり、下山に多くの時間を要する。
そのような状況のなかで、安全確保と地域経済との狭間でギリギリの対処の方法が模索された。「火山災害対策検討委員会」の協議を経て、県と登山道のある3町村が、山頂や登山道にサイレンや赤色灯による11基の緊急警報装置を設置、登山道にも警報装置を確認する自己責任の啓発を行い、臨時火山情報の発生時には、緊急に下山する体制を模索することで、2001年7月1日の山開きから10月8日まで東側4ルートでの入山規制が緩和された。噴火が起きず、まだ沈静化の判断が下されない状況での規制の緩和は例がないものの、出来るだけの安全対策を講じた上での緩和は、活火山と共生するための新たな試みとも評価されよう。
6、今後の課題
岩手山では、関連機関の連帯責任と住民をも含めた連携に基づく「岩手方式」ともいうべき対策が進められてきた。任意参加の「INS岩手山火山防災検討会」は勤務時間外の土曜日の午後、報道機関も含めて約40機関の関係者を中心に2001年7月迄31回開催され、減災の三角錐体制の構築、中央機関との連携、住民への啓蒙に貢献した。特に防災関係者が個々の責任と自覚と”ひと”と”ひと”との信頼感を培い、機関ごとのネットワークを広げてきた成果は大きい。
しかし、活動の長期化とともに防災意識の風化が早くも感じられる。行政関係者の短期間での異動により、経験により培われたプロとしての認識は蓄積されない。すでに、活動の活発化以来の経緯を経験した行政担当者は皆無に近いのである。長期にわたっての観測機器の維持、整備も容易ではない。今後、再び活動が活発化して噴火が起きた場合には、これまでの活動の成否が問われよう。
一方、今回の活動が噴火に至らないとしても、生きている火山、岩手山との共生に向けた息の長い取り組みが不可欠である。そのための長期的体制をどう整備するか、課題は多い。
参考文献
「1」斎藤徳美(1999):岩手山火山防災マップ、月刊地球、21、5、317−321
「2」土井宣夫(2000):岩手山の地質ー火山灰が語る噴火史、滝沢村教育委員会
「3」土井宣夫(2001):第89回火山噴火予知連絡会資料
「4」岩手山火山災害対策委員会(2000):岩手山火山防災ガイドライン
「5」斎藤徳美(2001):岩手山の火山活動への取り組みー3年間の活動を振り返る。第28回INS岩手山火山防災検討会資料