岩手山では、1995年9月に火山性微動が観測され、1998年春以降火山性地震が多発し、噴火の可能性が指摘された。1732年の焼け走り溶岩流の噴出以降、約270年間大きな噴火がなかったため、岩手山周辺では岩手山が生きている火山との認識も防災対応も皆無の状況にあった。

 そのため、火山観測体制の整備、岩手山火山防災マップ、岩手山火山防災ガイドラインの作成、噴火対策避難訓練や住民への啓発活動など多くの防災対策が緊急に実施された。

 1999年以降、大地獄谷から黒倉山・姥倉山一帯で噴気活動が活発化したが、幸いにして噴火には至らず、2004年7月1日には全山で入山の規制が解除された。今回の噴火危機対応は一つの区切りを迎えたと考えられている。この間に岩手で進められた、地域防災の担い手である住民を主体的に位置付け、報道機関をも含めた防災関係者および研究者がスクラムを組んで地域の安全を守る実践は「岩手方式」とも称され、新しい地域防災の在り方が提示されたと評価されている。

 しかし、その一方で、マグマが地表近くまで貫入したと推定された1998年2月から4月および同年8月には、「岩手山火山防災マップ」も「岩手山火山防災ガイドライン」も作成されておらず、岩手山防災はいわば丸腰の状態であった。このときに噴火が起きていたならば、混乱の極みにあったことは想像に難くない。また、岩手山の異変を最初に捕らえたのは、火山観測の精度向上をめざして従前から整備が進められていた、東北大学地震・噴火予知研究観測センターの観測井であった。すなわち、岩手山の噴火危機対応での最大の教訓は、”平時の備えの重要さの再認識”であり、今回の噴火危機対応の終わりは次の噴火に備えたスタートでもあると位置付けられる。

 次の噴火への備えのスタートとして、今回の噴火危機対応の経緯を後世に残すことが最も重要な事項の一つであるとされた。そこで、国土交通省東北地方整備局岩手河川国道事務所および岩手県を発行者として、防災関係機関および関係者の協力を得て、「1998年岩手山噴火危機対応の記録」を2004年7月から編集作業を開始し、2005年4月に発刊した。監修は、活動が活発化した当初から防災対応を先導した齋藤徳美岩手大学副学長が行い、土井宣夫岩手県火山対策指導顧問、菊地真司同主事、吉田桂治国土交通省東北地方整備局岩手河川国道事務所調査第一課長が編集にあたった。

 冊子は、1700部を印刷、火山を抱える全国の自治体、防災関係機関、研究機関、防災関係者などに配布された。内容は、口絵写真11ページ、本文478ページ、資料39ページなど合計541ページであり、本文は以下の6部から構成されている。
 1995年以降の火山活動の経緯や緊急に立ち上げられた防災対応の経緯や、国・県・市町村・ライフライン関係機関・民間企業・報道機関など50余の機関、団体などの対応が報告されている。「岩手方式」の防災対応の母体となったINS(岩手ネットワークシステム)の「岩手山火山防災検討会」が担った活動も68ページにわたって紹介されている。また、関係者36名が岩手山噴火危機体験を掲載しており、公的には見えにくい対応の実態が浮き彫りにされている。地域の安全を守るために、関係者が直面した困難な課題や苦労の吐露が率直に示されており、顔が見える”ひと”つながりを重視した「岩手方式」を特徴的に表したものとなっている。

 口絵写真のほか、本文中には430余枚の図や写真が掲載され、視覚的にも、岩手山の火山活動や防災対応がわかりやすく編集されている。資料には、今回の噴火危機対応に関して学会誌に掲載された論文や口頭発表の文献約370編のリストが網羅され、また、気象台が発表した火山観測情報、地震回数などの観測データが集められており、学術的にも価値の高い内容となっている。

 なお、本冊子の発刊を記念して、4月23日に岩手大学工学部テクノホールで、第54回INS岩手山火山防災検討会をかねて、「岩手山の防災対応を振り返るシンポジウム」が開催された。岩手山防災に携わった浜口博之東北大名誉教授、齋藤徳美代表幹事が岩手山の活動や防災対応の経緯を振り返り、富士山の噴火対策に携わる荒牧重雄東京大学名誉教授、火山噴火災害の危機管理に関する研究を行っているNPO法人東京命のポータルサイトの中橋徹也監事が、岩手方式の意義や評価について講演した。また、当時の盛岡地方気象台野口晉孝台長、火山防災マップの作成に貢献した中村巌北上川統合管理事務所副所長、報道機関として地域防災の一翼を担ったIBC岩手放送宿輪智浩記者らが、当時の思い出を語った。

 本冊子は、6月30日から岩手県総合防災室のホームページに掲載しているので、是非ご覧戴ければ幸いです。

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